当ジムの魅力

* 誰でも通いやすい自由な環境: タトゥーやネイルを気にせず、ありのままの自分でトレーニングを楽しめます。

* 「運動が苦手」でも大丈夫!: 明るく経験豊富なトレーナーが、楽しく丁寧に指導します。自然と体が引き締まる「続けたくなるキックボクシング」を体験してください。

* 手ぶらでOK!: グローブやレガースを無料で貸し出しています。Wi-Fi、駐輪場、冷凍冷蔵庫も完備しており、気軽に利用できます。

料金プラン

体験・ビジター

* 見学 (10分): 無料

* 初回体験・ビジター (60分): 4,000円

月額通い放題プラン

現金・カード・QRコード・電子マネーの場合

* オールタイム:

   * 1ヶ月: 18,000円

   * 3ヶ月: 45,000円

   * 1年: 120,000円

* 曜日限定/平日昼限定(15:00~18:00):

   * 1ヶ月: 10,000円

クレジットカード・銀行引落の場合(3ヶ月以上の継続が条件)

2か月目から20%off
学生割引(25歳まで)20%off
クレジットカード・銀行引落の場合40%off

その他プラン

* 回数券 (10回チケット): 30,000円(6ヶ月有効、本人と同伴者も利用可)

* パーソナルトレーニング (30分): 5,000円

お得なグループ割

2人以上で同時入会すると、月会費が大幅割引に!

* 2人: 20%OFF

* 3人: 30%OFF

* 4人: 40%OFF

* 5人以上: 50%OFF

営業時間

| 曜日 | 営業時間 |

| 平日 | 15:00~25:00 |

| 土曜 | 15:00~23:30 |

| 日曜 | 休み |

ジム貸切レンタル

深夜や営業時間外は、ジムを貸し切ってのご利用も可能です。

* 利用可能日時:

   * 平日・土曜 13:00〜15:00 (2時間): 10,000円

   * 深夜 24:00〜26:00 (2時間): 10,000円

   * 深夜 24:00〜29:00 (5時間): 20,000円

* 無料レンタル: グローブ、レガース、ヘッドギア、ミット

* 利用用途: 練習、スパーリング、撮影、配信、イベントなど、個人・団体問わず自由にご利用いただけます。

アクセス・お問い合わせ

* 住所: 東京都新宿区歌舞伎町2-2-10

* 最寄駅: 地下鉄 東新宿駅 徒歩2分

* 電話: 080-1987-1739

* メール: shinjuku.gym@gmail.com

 

ご入会案内 

当ジムでは、初心者から経験者まで、安心してトレーニングを始められる環境をご用意しています。

入会手続きが完了すれば、その日からすぐに練習可能です! 

入会方法
入会申込書の記入

必要事項をご記入ください。
※未成年の方は保護者同意書が必要です。 お支払いについて
現金払いの方:当日分からのご利用が可能です。

銀行引き落としをご希望の方:
・口座番号の分かるもの
・銀行印
をご持参ください。 

持ち物 

動きやすい服装 貴重品は必ずご自身で管理してください。
※グローブなどの練習用具は無料レンタルしています! 

  安全・ルール

怪我や事故、盗難・紛失は、当ジムの重大な過失がない限り責任を負いかねます。
トレーナーやインストラクターの指示に従って、安全に練習してください。
故意に器具や備品を破損、または他の会員に怪我をさせた場合は損害賠償請求を行います。

その他

表示価格は全て税込です。 暴力団排除条例に基づき、反社会的勢力に属する方、または関係者の方の入会は固くお断りします。 退会される場合は退会届の提出をお願いします。 

💡 安心・安全な環境で、今日から新しい自分をスタートしませんか?

お気軽に見学・体験にお越しください! 

トレーナー紹介

代表 RIKIYA
オールタイム

キックボクシング・空手・ラウェイ・K-1と、幅広い打撃格闘技を経験し、 TRIBLATE キックボクシング スーパーフェザー級シニア王者として活躍。
さらにプロ忍者としてのパフォーマンス経験も持ち、観客を楽しませるエンターテイナーの一面も。
正道会館東京本部で鍛え、K-1の現役選手やトレーナーから技術を習得。
その後も独自に技術研究を重ね、ダイエット検定・認定心理士・上級救命講習などの資格を活かし、 メンタルトレーニングやカウンセリングを融合させたダイエット・ボディメイク指導を行う。 「
格闘技を楽しみながら、美しく強くなる」ことをテーマに、 初心者から上級者まで、一人ひとりに合わせた指導でサポートします。

亜努(アトム)
~24時

挑戦は終わらない——進化し続けるファイター。
キックボクシング&ボクシング、TRIBLATE元王者。
プロ人生に悔いを残さぬため、今も現役トレーナー兼プロ選手としてリングへ。
技術は急成長中——その本物の格闘技をあなたに直接伝えます。

鹿ちゃん

30分で効く!笑って鍛える加圧トレーニング 加圧トレーナーが行うフィットネスキックボクシング+加圧パーソナル。 1回30分・5,000円で、短時間でも効率的に筋力UP&脂肪燃焼! 「お笑い担当?」と思われるほど明るく、モチベーションを上げるのが得意です。 気づけばあなたも元気になって、体も心もパワーアップ。 📍 初心者・女性も安心 🔥 ダイエット・筋力アップ・ボディメイクに最適 📲 体験予約受付中!

天田憲明
サバイバル護身術
火曜20時~21時30分

すべての格闘技や日常生活に役立つ、実践型クラス。 システマ公認インストラクター 天田憲明 が指導。 空手・柔術・クラブマガを経て培った経験をもとに、 「生き残るためのサバイバル護身術」をお届けします。 五感を最大限に活かし、合理的なリラックスを身につけることで、 あらゆる状況で冷静に判断・行動できる力を養います。 🗓 毎週火曜 20:00〜21:30 💰 一般:2,000円 / ジム会員:無料 📍 実戦的でありながら安全、初心者も歓迎! 日常生活の危機管理から、格闘技の技術向上まで幅広く役立ちます。


 

ACCESS


新宿スポーツジム

MAIL:shinjuku.gym@gmail.com (24時間受付)
住所:東京都新宿区歌舞伎町2-2-10-地下 
ビルに向かって左側の階段を下ります。
新宿スポーツジム

地下鉄大江戸線・副都心線
東新宿駅 A1 出口より徒歩2分

地下鉄丸ノ内線・都営新宿線
新宿三丁目駅 E1 出口より徒歩5分

JR新宿駅 東口・新大久保駅より徒歩12分

問い合わせ
shinjuku.gym@gmail.com

代表RIKIYAプロフィール&メッセージ

北海道札幌市出身。
幼い頃はシングルマザーの家庭で育ち、喘息を抱える体の弱い子供でした。
当時は有効な薬がなく、発作が起きると病院で点滴を受けるしかありません。母は昼夜を問わず、私を病院に連れて行ってくれました。
深夜でも受け入れてくれた病院や医師には感謝しています。
私の命を守るために、母は病院の近くへ引っ越し、車まで購入。さらに、私の体調に合わせてすぐに早退できるよう、昼も夜も働いてくれていました。
シングルマザーがまだ珍しく、昭和のセクハラやパワハラが当たり前だった時代に、母がどれほど苦労したかは想像に難くありません。
私は昼は保育園、夜は託児所で過ごし、母と会える時間は少なく寂しさを感じていました。
それでも家では百科事典や宇宙・動物・恐竜の図鑑を夢中で読み、積み木やレゴのような知育玩具でもよく遊んでいました。
そして子供らしく、テレビに影響を受けては何でも真似をしました。
特に特撮アクションのヒーローものが大好きで、変身ポーズや必殺技を真似し、「将来は強くなって、地球の平和を守るヒーローになるんだ」と本気で思っていました。

保育園から小学校──体質改善と外遊び

保育園時代の私は運動がまったく得意ではなく、喘息の発作も多くて外で走り回ることはできませんでした。

しかし小学生になるころには、体質改善の治療や体力の向上の効果もあってか、喘息の発作も年に数回程度にまで減り、外遊びができるようになりました。

地元は札幌。冬になれば一面が雪で覆われ、遊び場は自然に広がっていました。ミニスキーで滑ったり、雪山から飛び込んだり、寒さも忘れるほど雪と戯れました。物置の屋根の上から「ライダーキックごっこ」をしたり、前宙やバク宙に挑戦するような無鉄砲な遊びも、楽しみながら自然と体を鍛えていたのだと思います。

また、家の近所には「冒険公園」と呼ばれる木々やロープ遊具がある公園があり、木登りやロープ渡りで遊んでいるうちに、バランス感覚がどんどん磨かれていきました。その成果もあって、学校の障害物競走では1位を取ったり、走るのもかなり早くなっていきました。

学校では昼休みに、友人たちと前日のテレビを真似して遊ぶのが恒例でした。ヒーロー番組を見た翌日は「ヒーローごっこ」、カンフー映画を見た翌日は「カンフーごっこ」、プロレス放送の翌日は「プロレスごっこ」。さらにドッジボールなどの球技でも汗を流し、子どもらしい無限のエネルギーを発散していました。

病弱だった幼少期から一転、小学校時代には外遊びやごっこ遊びを通じて体力と運動神経を伸ばし、格闘技的な動きや競技の楽しさを自然に身につけていたのです。

中学校時代──不登校と新しい情熱

小学6年生のとき、私は両膝をオスグッド病に患い、中学3年間は運動ができませんでした。
運動ができないだけでなく、次第に学校に行かなくなる不登校の時期を過ごすようになります。

理由は膝の痛みだけではありませんでした。もともと私は校則や団体行動に馴染めない性格で、型にはめられる学校生活そのものが苦痛だったのです。

さらに当時の少年野球はスパルタ式で、非科学的なトレーニングや根性論ばかり。仲間の多くも無理をして体を壊していくのを目の当たりにし、スポーツの世界そのものに疑問を抱くようになっていました。

私は「せめて勉強だけは」と独学に励み、数学や物理にのめり込み、科学雑誌や本を読み漁る毎日。
真剣に将来は「UFOを作る科学者になりたい」と考えていました。

それでも昼間学校へ行かなかった分、母と一緒に過ごせる時間が増えたのは正直うれしいことでした。わずかではありますが、母の仕事を手伝うこともあり、幼いながらに「支えてあげたい」という気持ちも芽生えていました。

そしてある深夜、布団の中で聴いていたラジオから流れてきた音楽が、私の人生を大きく変えることになります。
鋭いギターリフと叫ぶようなヴォーカル──それは私が初めて触れたヘビーメタルでした。

その瞬間、胸の奥が熱く燃え上がり、科学者の夢と並んで「音楽」という新しい情熱が生まれたのです。

なお、当時の詳しい話はなぜか「アンダーグランド歌舞伎町」の中で、私のススキノ時代の話として語られています。

歌舞伎町アンダーグラウンド

本橋 信宏 (著)

全裸監督で知られるベストセラー作家・本橋信宏さんにインタビューを受け、私の幼少時代やこれまでの歩みが、著書『歌舞伎町アンダーグラウンド』に収録されています。 母がシングルマザーとして懸命に働きながら育ててくれた日々、病弱だった幼少期から格闘技や音楽に打ち込み、自分の道を切り拓いてきた過程──その物語は、同じ境遇の方や、夢を追う人たちに希望を与える内容です。 取材後は、本橋さんが案内する「歌舞伎町街歩きツアー」のお手伝いもさせていただきました。歌舞伎町の歴史や裏側、そこに生きる人々の息遣いまで感じられる、濃密な時間です。 興味のある方は、ぜひ『歌舞伎町アンダーグラウンド』を手に取って読んでいただけると嬉しいです。

高校時代からバンド活動へ

高校時代、私はバドミントン部に所属し、地区大会で入賞するほどの成果を収めました。
しかし、心はすでに音楽に奪われており、放課後は仲間とスタジオに入り、週末にはライブハウスで演奏する日々を送っていました。

高校は「髪型自由」の学校を選んだはずでしたが、髪を金髪にした瞬間から生活は一変しました。担任から放課後に呼び出され、理不尽な説教や嫌がらせを受けるようになったのです。

勉強自体は好きで続けており、成績は平均4.3。推薦入学も狙える水準でした。ところが担任の国語の授業では、出席確認すら飛ばされ、テストで90点以上を取っても「0点扱い」、成績は1をつけられるという不当な扱いを受けました。数学は得意で常に100点近くを取り5段階評価の5しかなかったにもかかわらず、副担任からは3をつけられる始末。今では信じられないような、昭和時代の教育の理不尽さを味わいました。

さらに担任は母親にまで電話をかけ、事実と異なることを吹き込みました。当時、母もそれを信じてしまい、私はますます孤立しました。学校に通う意味を見失い、不登校になった時期もあります。
しかし数日後、学校から匿名の電話があり「担任の言うことは気にするな、学校に来い」と告げられ、復帰。戻ると担任は急におとなしくなり、逆に私を完全に無視するようになりました。笑ってしまうほど極端な態度でしたが、それでもなんとか高校を卒業しました。

放課後はスタジオでバンド仲間と音を合わせ、週末はライブハウスのステージへ。コンテストでも入賞し、卒業後は進学せず、アルバイトをしながらプロミュージシャンを目指すことを決意しました。

同じ頃、地元の空手道場にも通い始め、週1〜2回の稽古を積んでいました。音楽と格闘技、その両方に情熱を注いだ時期でした。

札幌でのバンドは地元メディアに取り上げられ、インディーズでCD・DVDをリリース。ライブ動員も徐々に増え、雑誌にも毎月名前が載るようになりました。

東京──夢と現実

札幌でバンドが解散した後、私は仲間と共に東京へ上京しました。
機材車には楽器とわずかな着替えを積み込み、家も仕事も決まらないままの挑戦でした。サウナやカプセルホテルで数日を過ごしながら、不動産屋を回り、アルバイトの面接を受け続けました。

「このまま札幌には帰れない。何が何でも東京で有名になってやる。」

その強い気持ちだけが支えでしたが、当時の私は金髪・長髪という外見で、仕事も住まいもなかなか決まりません。1週間が過ぎても進展がなく、焦りだけが募る日々でした。

ようやく中野でバンドの仲間と小さな部屋を借りることができました。しかし、間もなくメンバーが彼女を呼び寄せるようになり、私は気を遣って部屋を出ることに。新たに住まいを探し、最終的に歌舞伎町に腰を落ち着けることになりました。以来、部屋は何度か変わりましたが、ずっと歌舞伎町の住民として暮らしてきました。

その後、バンドは雑誌に取り上げられインディーズとして活動を続けましたが、生活は常に苦しく、人間関係もこじれて数年で解散。東京での夢と現実の厳しさを痛感しました。

「やはり私は団体行動が苦手なのかもしれない」

そう思わざるを得ない経験でしたが、この時期の苦労や葛藤が、後に私が格闘技やジム経営へと進むきっかけにつながっていきます。

上京後、正道会館での修行とK-1選手たちとの出会い

上京してから私は、K-1でおなじみの正道会館に入門しました。当時はまだ道場が落合にあり、そこへ通っていましたが、やがて正道会館東京本部は高田馬場へ移転。広い道場となり、K-1に出場するプロ選手たちが頻繁に練習に訪れるようになりました。

間近でK-1ファイターの練習を見られる環境はとても刺激的で、多くを学ぶことができました。当時はまだ大会運営も道場生がスタッフを務めていたため、私も大会のお手伝いをしていました。

私は夜の仕事をしていたので、参加できるのは主に昼間の空手クラス。そこで稽古を重ね、やがてバンド活動に区切りをつけ、空手に毎日打ち込む生活へと切り替えました。試合にも出場し、勝ったり負けたりを繰り返しながら経験を積みました。

当時の昼間コースは子安慎吾さんや平直行さんが指導しており、週2回のスパーリングで新しい技を試すことができました。コースがない日は、雑誌や専門書を読みながら独学で研究し、一人で反復練習を繰り返す毎日。稽古仲間がいるときに試し、修正を加え、さらに研究を重ねていきました。

この頃の試行錯誤と研究の日々が、私の格闘技における考え方とテクニックの基礎をつくる大きな土台となりました。

歌舞伎町でスポーツ&ロックバーを経営し格闘技人脈を拡大

バンドをやめた後、私は新宿・歌舞伎町に「スポーツ&ロックバー」をオープンし、経営を始めました。店には多くの格闘技選手や道場生が来てくださり、交流の場としても盛り上がりました。

このバーを通じて、私は団体や流派の垣根を越えてさまざまな格闘技関係者と知り合うことができ、人脈が一気に広がっていきました。キックボクシングや空手、K-1関係者など、多彩な格闘家との交流が今の活動にも大きな財産となっています。

練習面では、従来の顔面攻撃なしのフルコンタクト空手だけでなく、K-1ルールや顔面ありのグローブ空手にも取り組みました。さらに、積極的にアマチュア試合に出場し、実戦経験を重ねました。

実は、当時は青帯しか持っていなかったのですが、全日本大会のような大舞台に出場したい気持ちが強く、他流派の大会に「黒帯」を巻いてフリー選手として参戦したこともあります(笑)。

もっとも、グローブ空手の練習といっても本格的なものではなく、週2回の空手練習の後に、希望者と顔面ありの練習を軽く行う程度。そのため、試合に挑んでも勝率は高くありませんでしたが、それでも経験を積むこと自体に大きな価値がありました。

この時期に得た経験と人脈が、後に自分のキックボクシングジム開設へとつながっていきました。

正道会館東京本部での貴重な経験とK-1 MAXの舞台裏

当時、私は正道会館東京本部で一人で練習をしていました。すると突然、前田憲作さんがK-1出場のために練習に訪れ、一緒に練習させてもらえることになったのです。

さらに間もなく、チームドラゴンのエースである小比類巻貴之(コヒ)選手も合流。トレーナーにはチャーンが招かれ、私は初めてタイ人トレーナーによる本格的なミット打ちを体験しました。昼間は他に人が少なく、私は彼らと練習を共にする機会を得ましたが、当然プロと一緒では「やられ放題」。それでも大きな財産となる経験でした。

やがてK-1 MAXがスタートすると、正道会館東京本部には魔裟斗選手や須藤元気選手といった名だたる選手たちも練習に訪れるようになりました。彼らの練習を間近で見ることができ、一緒にマススパーリングを経験できたことは本当に勉強になりました。

特に須藤元気さんは非常に研究熱心で、一緒に練習した後には一練習生の私にまでアドバイスを求めてくるほど。強くなること、試合に勝つことに対して常に貪欲でした。実際、K-1 MAX日本トーナメント前に私が何気なく言った一言を本番で実践し、試合を有利に進めていたのを見たときは驚きました。今では政治の世界で活躍されていますが、当時から勉強熱心で探究心にあふれる方でした。

魔裟斗さんも同じく練習熱心で、ある日タイ人トレーナーのヌアトラニーが来られなかったときには、私がミットを持たせてもらったこともあります。間近で感じた彼のパンチの回転の速さは、今でも忘れられません。現在のシルバーウルフを率いる大宮司さんとも、たまに一緒に練習させてもらったことがあります。

魔裟斗選手とヌアトラニーのコンビによる練習を間近で見たり、一緒に汗を流せたこと。須藤元気選手が常に考えながら練習と試合に取り組んでいたこと。これらは私にとって、格闘技人生の大きな財産です。

その後、チームドラゴンには継続してタイ人トレーナーが常駐するようになり、試合前の練習も日本でできる環境が整いました。それ以前は、前田さんや小比類巻選手が試合前にタイへ出稽古に行っていたので、私は道場に残って一人でサンドバッグを打ち込みながら練習を重ねていました。

アンディ・フグとの出会いとディフェンス技術の原点

当時、チーム・アンディも正道会館東京で練習していました。ある日、ジムで一人練習していた私に、なんとアンディ・フグ本人が声をかけてくれたのです。

「一緒に練習しよう」

そう言って私をヘビー級のメンバーに紹介してくれ、「体重は関係ない、テクニックで練習しよう」と励ましてくれました。そして、私はアンディと直接一緒に汗を流すことになりました。

アンディはマススパーでも攻撃を受け止めながら、私のガードの隙を的確に指摘してくれる、まさに師のような存在でした。しかし、他のK-1ヘビー級ファイターたちは容赦なく攻撃してきます。初めての練習の夜、頭が痛み「寝たら二度と起きられないのでは」と不安で眠るのが怖かったのを今でも覚えています。

その経験から、私は「相手の攻撃を絶対にもらってはいけない」と強く心に刻み、あらゆる手段を使ってディフェンス技術を徹底的に磨き始めました。

もともと考えを組み立てたり研究することが得意だったので、本や雑誌を読み漁り、実際の練習で試行錯誤を重ねる日々。その積み重ねこそが、今の私のキックボクシングスタイルの原型となったのです。

アンディ・フグとの練習とマイケル・マクドナルドとの日々

アンディ・フグは本当に真面目で、そして練習は驚くほどハードでした。
しかし、まさか一緒に練習を始めてから2年も経たないうちに彼が亡くなるとは、夢にも思いませんでした。突然の訃報は信じられず、今でも胸に強く残っています。

https://ameblo.jp/shinjuku-kickboxing/entry-12924790927.html

 

https://ameblo.jp/shinjuku-kickboxing/entry-12925301812.html

その後、チーム・アンディの外国人選手たちは次々と帰国し、残ったのはマイケル・マクドナルドだけでした。私は彼と練習を続け、やがて彼のミットを持つ役を任されるようになりました。

正直なところ、K-1ヘビー級ファイターの強烈なパンチやキックを受け止めるのは非常にきつい作業でした。しかし、自分の身を守るためにも必死で工夫し、自然とミット持ちの技術も向上していきました。

さらに、マイケルが試合に出るときは、相手選手の特徴や動きを私が再現してスパーリングを行い、その対策を一緒に練習しました。彼が試合で勝利を収めるたびに、自分のことのように嬉しく感じたのを覚えています。

この時期、マイケルはミルコ・クロコップやグラウベ・フェイトーザといった強豪にも勝利を挙げており、間近でその戦いを支えられた経験は、私にとっても大きな財産となりました。

格闘技を続けながら学んだテクニックと体の使い方

マイケルがカナダへ帰国し、再び一人で練習する日々が訪れました。練習相手もいなくなり、私は少しずつ仕事に比重を置くようになっていきました。

目的を見失いながらも、なんとなく格闘技の練習は続けていました。そんな中で出会ったのが、湊谷先生です。先生からは技術的な指導だけでなく、セコンドを務める上で大切な考え方も数多く学ばせていただきました。

特に大きな学びとなったのは、「体の使い方」や「考え方」。
基本さえ理解すれば、どんな状況でも応用が利くということを実感し、私はさらに自主的に研究を重ねるようになりました。

駆け引きやテクニックの勉強は本当に面白く、キックボクシングや格闘技を「技術として深く掘り下げていく楽しさ」に気づいたのもこの頃です。
深夜営業キックボクシングジムを新宿歌舞伎町でスタート

ジムを立ち上げる前、私は知り合いのボクシングジムの空き時間を借りてキックボクシング教室を開いていました。

その頃から「いつか自分の格闘技ジムを持ちたい」という思いがありました。また、当時経営していたバーに来ていたお客さんからも「仕事が忙しくてジムや道場に通えない」という声をよく聞いていました。

そこで私は考えました。
「仕事が遅くても通えるジム」「夜の仕事をしている人でも利用できるジム」を作れば、多くの人の役に立てるのではないか――と。

こうして新宿・歌舞伎町に、朝まで営業するキックボクシングジムをオープンしました。

人がやっていないことに挑戦するのが私は好きです。
オープン当初は「夜中にやっても誰が来るんだ」「すぐに潰れるよ」と言われることもありました。

しかし、その言葉が逆に闘志に火をつけるきっかけとなり、私は「絶対に成功させる」と強く決意しました。


ジムの挑戦と成長

私が最初にオープンしたジムは、今とは違う場所で広さもわずか1/3程度、雑居ビル内の小さなスペースでした。
そこからのスタートでしたが、多くの方の支えもあり、順調に会員が増え、2年後には現在の広いジムへと移転することができました。

オープンしてみると、通ってくださる会員の多くはダイエット目的。私は「知識を形にしたい」と考え、ダイエット検定を取得しました。さらに、もしもの時に備えて上級救命講習や応急処置の講習も受講。安全にトレーニングできる環境づくりに努めました。

格闘技やキックボクシングの技術は「できて当たり前」。だからこそ、私は今も強い選手や最新の技術を動画や実戦から研究し、格闘技のジャンルにとらわれず学び続けています。

一方で、ダイエット目的で入会しても「食べすぎてしまう」「通う習慣が続かない」といった理由で成果を出せない会員さんも多く、私は指導の難しさに悩みました。そこで辿り着いたのが「心理学」との出会いです。

学校で学んだ心理学と法律

モチベーションやメンタルの本を読み漁っても答えが出ず、セミナーに参加しても営業色が強いだけで実りがありませんでした。そこで「根本から学びたい」と考え、通信制大学で心理学を専攻しました。

夜は仕事、昼はスクーリングという厳しい生活でしたが、無事に卒業し認定心理士の資格を取得。心理学を学んだことで自分を見直す良いきっかけとなり、また心理学を通じ自分を見つめなおし家族の役に立てたことが何より大きな財産です。

心理学科では、医療・教育・福祉・接客行など様々な業界の人と交流できたことも貴重な経験でした。
スポーツ心理学やメンタルトレーニングの基礎を理解でき、今の指導にも大きく役立っています。

さらに2020年、新型コロナウイルスの流行。長期化する状況の中で、私は「法律を学んで自分や会員を守りたい」と考え、法政大学法学部法律学科へ入学しました。勉強は心理学より格段に難しかったですが、「知的護身術」としての法律に挑戦するモチベーションになりました。

しかし、コロナが明けると仕事や新しい事業で忙しくなり、十分に勉強時間を取れなくなりました。最終的に住宅宿泊管理業の資格を取得したあたりで退学してしまいましたが、それでも民法や判例や条文の読み方を理解できたのはとても有意義な経験でした。

「知らないことを学ぶ楽しさ」を知ったこと自体が、今でも私の大切な財産です。


インバウンドと民泊への挑戦

コロナが明けると再びインバウンドの波が押し寄せました。新宿スポーツジムにも、近所に滞在する外国人旅行者が多く訪れるようになり、国際交流の場としてにぎわうようになりました。私自身もオンラインで英会話学習を続け、会員も外国人とスパーリングや交流を楽しんでいます。

しかし一方で、新宿のホテル代高騰という問題が発生。試合や大会で上京する地方選手が宿を確保できずに困っていました。

そこで私は、ジムの上のフロアを活用して民泊事業を開始。試合前の選手やセコンド、学生アスリート、私の地元札幌のバンドは無料で宿泊可能にしました。営業日数は民泊新法で年間180日までに制限されますが、残りの日は有料で提供。
ビジネスホテルが1泊2万円を超える新宿で、グループで安く泊まれる民泊を実現しました。

宿泊にはジム利用料も込み。さらに部屋にはガスファンヒーターを設置し、アップや減量、水抜きもできる環境を整備しました。格闘技の選手だけでなく、他競技の合宿にも対応でき、さらにはバンドのツアー宿泊にも活用できるように考えています。

将来的には、ビル上階の物件が空けばドミトリー型シェアハウスをつくりたいと思っています。単なる宿泊施設ではなく「寮」としても機能させ、若い選手やアスリートを育てる場にするのが夢です。
現在──歌舞伎町とジムの営業スタイルの変化

かつては夜の街として賑わっていた歌舞伎町も、近年は深夜になると驚くほど静かになりました。さらに2025年の改正風営法が適用され、深夜営業に対する規制が強化されたことで、私のジムも大きな転換期を迎えることになりました。

これまで長らく続けてきた深夜営業スタイルから思い切って方向転換し、現在は昼営業中心のジムへと切り替えています。

夜型の人々や夜職の方が通いやすい場所としてスタートしたジムでしたが、時代とともに利用者のニーズも変わり、今では昼間の営業でも多くの方に来ていただけるようになりました。

「歌舞伎町」という土地に根差しながらも、時代の変化に合わせて進化し続けること。それが、私が経営者として大切にしていることです。
母への感謝

最後にどうしても伝えたいことがあります。
それは、私を産み、シングルマザーとして休む間もなく働き続け、育ててくれた母への感謝です。

母はかつて乳がんで手術を受け、克服したかに思えました。しかし8年後に肺がんが見つかり、今も闘病を続けています。

そして2025年8月現在、これまでの抗がん剤治療が効かなくなり、新たな治療法に挑戦することになりました。母自身が「もう覚悟を決めた」と口にする姿を前にすると、胸が張り裂けそうになります。

私はこれまで母に面倒を見てもらった以上に恩返しをしたいのに、ほんの少しのことしかできない自分がもどかしい。
それでも願うのはただ一つ、母ができるだけ長生きしてくれること。そして、一つでも多く親孝行をさせてもらうことです。

母の存在があったからこそ、今の私があり、ジムを続けることもできています。
私の人生は母の支えそのものでした。

ありがとう、お母さん。

格闘技民泊 –
ジム利用付きで1泊1部屋 20,000円!
選手のために作られた、格闘技に特化した民泊施設です。
試合・大会・合宿・遠征・修行・留学など、目的に合わせてご利用いただけます。

1部屋1グループ貸切(プライベート空間)

滞在中はジムの使用料込み!

価格は1泊1部屋20,000円(税込)

選手やセコンドの方には、試合・大会出場者割引あり。
また、格闘技以外のスポーツチーム・団体の皆様も大歓迎です!

 この民泊が選ばれる理由
東京のホテル価格が高騰する中でも、リーズナブルで静かな環境を確保

ジム併設だから、試合前の最終調整や調整トレーニングが可能

コンディションを崩さず、ベストな状態で本番に挑める環境

合宿、遠征、修行滞在にも最適

 こんな方におすすめ!
試合や大会に出場する選手&セコンド

東京で合宿・遠征を行う道場・チーム

海外からの武道留学生

スポーツイベントに参加予定の団体・グループ



東京都新宿区歌舞伎町2-2-10 A3
shinjuku.gym@gmail.com

airbnb.jp/h/kickboxing-muaythai

【新宿 格闘技・キックボクシングレンタルスタジオ 】

テレビ、CM、映画、雑誌、ミュージックビデオ、プロモーションビデオ、YOUTUBE、動画撮影、SNS、動画配信、Vシネ、写真集、グラビア、アイドル、、同人撮影、お笑い、バラエティ、チャレンジ動画、コスプレ

利用時間

月曜~土曜
13:00~15:00
2時間 10,000円
月曜~土曜
24:00~26:00
2時間10,000円
24:00~29:00
5時間20,000円

その他時間
3時間30,000円
延長
1時間10,000円

予約  まずはご利用時間が空いているかお問合せください。
shinjuku.gym@gmail.com
空いている場合は仮予約をして、
クレジットカードもしくは銀行振り込みで料金支払い後に予約確定といたします。
利用目的 テレビ、映画、CM、雑誌、写真集、パンフレット、ミュージックビデオ、プロモーションビデオなどの撮影。
動画配信やチャレンジコーナーやSNSにアップ用の個人のご利用もできます。
注意事項  ご利用方法によってはお断りすることがあります。
法律に違反するもの、
公共風俗に反するもの。
他のご利用者やビル住民に迷惑がかかることなど考えられる撮影のご利用をお断りします。
ジム内は土足禁止、ハイヒールなどのジョイントマットに穴があいたり傷めるものは禁止。
飲食は可能ですが汚した場合は清掃をお願いします。
ゴミはお持ち帰りください。
予約  まずはご利用時間が空いているかお問合せください。
shinjuku.gym@gmail.com
空いている場合は仮予約をして、
クレジットカードもしくは銀行振り込みで料金支払い後に予約確定といたします。
忍者体験(予約制)
1グループ1時間20,000円
https://ninja-shinjuku.hp.peraichi.com/